安田社長の”もったいない”道

曳家の仕事4

06.18

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私が弊社に入りたての頃は毎日、作業着に地下足袋を履いて建築現場に行き、

職人として作業をしていた。経営を継ぐという志は内に秘め、今やるべきことは

現場の状況を知り、理解して学ぶことが大切と思い仕事に励んだ。心掛けたことは

皆が一番嫌がる仕事を率先して遂行することだった。狭い便所での解体、床下に

潜っての切離しの作業、曳家で使うワイヤーの力点の設置など、敬遠されがちな

作業を黙々と行った。私はは入社した際、自分に目標を掲げた。「曳家の全ての仕事を

2年以内に覚え、どのような依頼にもこたえられる人財になる」ということだ。

要領よく一日の仕事をこなし、目的も無いままに給料だけを手に入れることを

嫌悪していたからだ。5年ほど前に中学校の同窓会が行われた際、自分が3年生の時に

書いた作文を見つけた。「僕の夢」という作文には、太豊工業の社長と設計士になると

書かれていた。そして29歳で1級建築士となり、41歳で社長に就いた。

幼い頃から抱いていた願いが、ちゃんと叶えられているではないか。15歳の志を

特別に意識はしないまでも、心に留めて過ごしていた。思い描いた願いは、自分次第で

実現することができるのだ。今、私が思い描く願いは、国宝や重要文化財といった世界の

分化史上でとても価値の高い建築物を補修する仕事を請け負うことだ。

国民の宝を託して頂けるという冥利に尽きる仕事だ。

その為にはさらに高度な技術と精神を身に付けていきたい。

 

平成13年に岐阜新聞の「素描」でコラムを連載さしていただいたので掲載していきます。

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